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東京地方裁判所 昭和33年(ワ)1287号 判決 1970年6月30日

原告

林春吉

外二六名

右二七名 代理人

小沢茂

外三名

被告

株式会社読売新聞社

代理人

田辺恒之

外六名

主文

1  本件各訴えを却下する。

2、訴訟費用は原告らの負担とする。

事実《省略》

理由

(前註)<省略>

一  本訴の適否

まず、本案前の問題について検討する。

(一)  事実関係

1  本件覚書の成立等について

被告会社は、新聞の発行その他の出版事業等を目的とする株式会社であり、原告らは、昭和二五年七月二八日以前から被告会社の従業員として勤務していたこと、被告会社は、昭和二五年七月二八日、原告らに対し、「連合国最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥の昭和二五年六月六日、同年六月七日、同年六月二六日、同年七月一八日の指令ならびに書簡の精神と意図に徴し、わが社は、日本の安定に対する公然たる破壊者である共産主義者ならびにこれに同調せるものに対し解雇することに方針を決定した。よつて、本日限り、貴殿に対し退社を命ずる。」との本件解雇の意思表示をしたこと、被告会社が原告らに対して右解雇の意思表示をした直後、東京附近在住の原告らは「反対同盟」を結成し、右解雇の効力を争い地位保全仮処分の申請ならびにその却下決定に対する抗告申立て、労働基準法違反を理由とする告訴等の手段をとつたこと、しかし、昭和二六年四月二一日、被告会社側を代表する務台光雄ほか二名と右「反対同盟」に所属する原告川口、同大野および訴外野口が本件覚書を締結したことは当事者間に争いがない。

2  右川口、大野、野口の代理権の有無

<証拠>をあわせると、前記「反対同盟」を組織した原告らは、右解雇を不満としてその撤回を求めるとともに解雇に伴う生活窮乏の状態を打開するため、前記のように地位保全仮処分申請等の法的手段に訴えたが成功しなかつたので、何としても被告会社と直接交渉の緒を見い出そうと努力した結果、昭和二六年二月ころ漸く被告会社に交渉を応諾させることに成功したこと、そして、前記川口、大野、野口の三名が「反対同盟」の構成員一同から前記解雇撤回要求と解雇に伴う生活窮乏の打開という事項に関して被告会社と交渉に当ることを委任され、被告会社側代表との交渉が昭和二六年三月二二日、三月二九日、四月一〇日、四月一三日、四月二〇日と続けられ、四月二一日本件覚書が締結されるに至つたこと、前記「反対同盟」側交渉委員三名は右覚書締結前の同月一九日「反対同盟」の総会を開き別紙(一)記載のような内容の覚書を締結することにつき承認を求めたところ、総会では当初一部に反対意見もでたが最終的には出席者全員これを承認したこと、そして、「反対同盟」の構成員全員は、同月二六日までに右覚書の趣旨に従い前記抗告および告訴をすべて取り下げ、同月二七日には右覚書に基づく退職金等の金員を受領していること、当時右「反対同盟」には原告鮫島、同真下、同大森、同杉岡の四名を除くその余の原告らがすべて加入していたことがそれぞれ認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そうであるとすれば、本件覚書の効力は前記川口ら三名によつて代理された「反対同盟」の構成員全員に及ぶと解すべきである。

3  本件覚書は「不起訴の合意」を包含するか。

<証拠>をあわせると、前記交渉の結果、前記「反対同盟」側代表三名は、被告会社側の態度からみて、とうてい本件解雇を撤回させ復職することはできないと考え、解雇撤回闘争を断念し、ここに本件解雇に伴なう一切の紛争を終了させ、将来も被告会社と紛争を起さない旨約することにより、退職金等を増額させその支給を受けて前記のような生活の窮状を打開するのもやむをえないと考えて本件覚書を締結したことが認められ、右認定に反する各証拠は採用しない。この事実と「反対同盟」の構成員全員は、前記のように、右覚書に基づき、昭和二六年四月二六日までに抗告および告訴をすべて取り下げたうえ、同月二七日には被告会社から右覚書に基づく退職金等の金員を受領したこと、しかも、当事者間に争いのない右覚書の内容は別紙(一)のとおりであるところ、その第六項は「反対同盟は『読売不当解雇反対同盟』を解散し今後会社に対しこの問題に関して紛争並びに迷惑を及ぼすような行為を行わないことを誓約する」というこにあることをあわせると、右覚書が少なくとも右解雇に関しては今後裁判上争わない旨の不起訴の合意を含み、遅くとも前記抗告および告訴の取下げならびに退職金等の授受完了と同時にその効力を生じたものと認めるのが相当である。<証拠判断省略>

4  原告鮫島、同真下、同大森、同杉岡の前記解雇に対する態度

原告鮫島、同真下、同大森、同杉岡が本件覚書に加わつていないことは当事者間に争いがない。そして、

(1) <証拠>をあわせると、原告鮫島は、昭和二五年一二月二八日被告会社社長馬場恒吾あて別紙(二)のような「受領証」と題する書面を提出し、退職金として一〇二、七六〇円を受領するとともに、そのころそれまで加入していた「反対同盟」から脱退し、さきに提起していた地位保全仮処分申請却下決定に対する抗告および労働基準法違反を理由とする告訴を取り下げ、さらに被告会社と、「反対同盟」との間に本件覚書が締結された後の昭和二六年五月一七日右覚書に基づく金一封等として合計七二、二五〇円を受領していることが認められ、これらの事実からすると、右昭和二五年一二月二八日ころ、原告鮫島と被告会社との間に不起訴の合意が成立しその効力を生じたものと推認することができる。

(2) <証拠>をあわせると、原告真下は、昭和二五年一二月ころ被告会社本社に出頭し、本件解雇を承認し、それまで加入していた前記「反対同盟」から脱退し、一切の解雇反対運動から手を引くことを誓つたうえ、労働基準監督署への告訴等を取り下げ、そのころ被告会社より異議を留めることなく退職金の支給を受け、さらに昭和二六年五月一七日被告会社と「反対同盟」との間に締結された本件覚書所定の金一封等として合計五八、六四〇円の支払いを受けたことが認められ、甲第四号証の一五中、右認定に反する部分は採用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(3) <証拠>をあわせると、原告大森は、本件解雇に反対して地位保全仮処分申請却下決定に対する抗告および本件解雇が労働基準法に違反することを理由とする告訴をしていたところ、被告会社と「反対同盟」との間に本件覚書が締結されたところ、被告会社側から「反対同盟」を通じて右覚書の趣旨に則り右抗告等の取り下げを要望する旨、そしてこれに応じた場合は退職金等を支給する旨の申入れを受けたので、これを承諾して右抗告等を取り下げるとともに、昭和二六年五月ころ本件覚書に基づく退職金、金一封等として合計七二、四一七円を異議を留めず受領したことが認められ、前記甲第四号証の一三中右認定に反する部分は採用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(4) <証拠>をあわせると、原告杉岡は、本件解雇当時、被告会社大阪支社に勤務していたところ、本件解雇通知に接し、自分は共産主義者でもまたその同調者でもないのでこれに該当するとして解雇されたのは被告会社の何らかのミスによるものと考えたが、占領下にあつた当時の政治社会情勢から敢て抗議しても解雇を撤回させうる状況にないと思い、解雇後間もない昭和二五年八月一四日解雇予告手当九、七一〇円と退職金九、六九九円とを異議を留めず受領したほか、翌昭和二六年五月ころ退職金の追加分として数万円の支給を受けたまま、解雇反対闘争にも加わらず、独自の立場で政治社会情勢の推移を見守りながら沈黙を守つたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(5) 原告真下、同大森、同杉岡(同人らについては他の原告らについてのように不起訴の合意をしていると認めることは困難である。)が、平和条約発効後、次に述べる昭和三二年ころまで、本件解雇の効力を争つて被告会社に対し労働契約上の権利を有する旨主張したことがあると認めるに足りる証拠はなく、ただ<証拠>をあわせると、わが国の新聞関係者で昭和二五年のいわゆるレッドパージを受けた人々が、昭和三二年ころから、総評や新聞労連の支援を得て復職闘争を進めることになつたことから、原告らの復職を目ざす動きがみられるようになり、昭和三二年一一月六日付で被告会社に提出された本件解雇に関する「不当解雇取消要求書」と題する書面の署名者中には原告大森と同杉岡が名を連ねていることが認められる。このように右原告らが異議を留めず退職金等を受領し、それ以後右復職闘争のはじまるまで本件解雇の効力を争つたとは認められない以上、被告会社が、原告らは雇傭関係の消滅を争わないものとして、その前提のもとに後任者の採用、配置転換等により会社の組織を形成し活動をつづけてきたことは容易に推認できる。なお、記録上本訴の提起された日は昭和三三年二月二四日と認められる。

(二)  右事実関係に基づく本訴の適否の判断

1  原告鮫島、同真下、同大森、同杉岡を除くその余の原告らについては、前記のように昭和二六年四月二一日不起訴の合意が成立し遅くとも同月二七日までにその効力が生じている以上、権利保護の必要がないと解するのが相当であるから、本件訴えは不適法として却下を免れない。

2  また、原告鮫島についても、前記のように昭和二五年一二月二八日ころ不起訴の合意が成立し効力を生じているから、右と同様権利保護の必要がなく、本件訴えは不適法として却下さるべきである。

3  原告真下、同大森、同杉岡については、前述したとおり不起訴の合意をしたことを認めるに足りる証拠はない。しかしながら、右原告らは、前記のような経緯で早い者で昭和二五年八月一四日、遅い者でも昭和二六年五月ころまでに、異議を留めず退職金等を受領し、それから約六年九か月ないし七年六か月、わが国が占領軍の支配から脱した平和条約発効の日から数えても約五年一〇か月を経過してから本訴を提起したものであり、しかも右異議を留めず退職金等を受領してから前記「不当解雇取消要求書」が提出された昭和三二年ころに至るまで被告会社に対し本件解雇の効力を争い労働契約上の権利を有する旨主張した形跡はない。そして、被告会社においては前記のような事情があつたので右原告らが雇傭関係の消滅したことをもはや争わないものとしてその前提のもとに会社の組織を形成し活動を展開してきた。そこでおもうに、その効力の不可争性を早期に生ぜしめるため実定法上出訴期間の制限が設けられている国家公務員法や地方公務員法に基づく公務員の免職の場合と異なり、私企業の従業員の解雇については出訴期間の定めはないが、労使の法律関係を早期に安定させる必要は程度の差こそあれ私企業においても存在する(なお、私企業における労使関係についての法律関係を早期に安定させようとする法の精神を示す実定法の規定としては労働組合法第二七条第二項、労働基準法第一一五条等が挙げられよう。)のみならず、本件のように解雇について被解雇者が異議を留めず退職金等を受領し、その後は長期にわたつて解雇の効力を争わないときは、企業側において雇傭関係が消滅したものと信じてその上に新たな企業組織を形成し企業活動を展開してきたとしても、もつともなことであるから、そのような場合に被解雇者が長期間を経てから突如解雇の無効を主張して訴えを提起することは、労働契約上の権利の行使としてはもとより訴権の行使としてもあまりにもし意的であり、信義にもとる行為であるといわなければならない。

そうであるとすれば、原告真下、同大森および同杉岡の被告会社に対する本件訴えも、信義則に反する訴権の行使として不適法とみるのが相当である。

二むすび

以上のとおりであるから、原告らの本件各訴えをいずれも却下することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九三条第一項本文を適用して主文のとおり判決する。(沖野威 小笠原昭夫 石井健吾)

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